令和2年7月25日
久しぶりの投稿となります。
山口町内会と岩手県紫波町との交流の花、『コスモス』が今年も満開となりました。ご覧下さい。
花壇の維持管理は、『コスモス会』の皆さんが担当しており、今年は、新型コロナウイルス感染症拡大防止のため3密を避けて作業を行っています。
現地で見ると、とても綺麗ですよ。
青森県東津軽郡平内町
令和2年7月25日
久しぶりの投稿となります。
山口町内会と岩手県紫波町との交流の花、『コスモス』が今年も満開となりました。ご覧下さい。
花壇の維持管理は、『コスモス会』の皆さんが担当しており、今年は、新型コロナウイルス感染症拡大防止のため3密を避けて作業を行っています。
現地で見ると、とても綺麗ですよ。
令和元年11月17日
蓬田村ふるさと総合センターにて、「東青地域の伝統芸能と食の魅力」が開催されました。
伝統芸能披露は下記の3団体
1 玉松太鼓(蓬田村:玉松太鼓保存会)
2 権現舞 (平内町:山口有志会)
3 荒馬踊り(今別町:大川平荒馬保存会)
今回初めて鑑賞した、玉松太鼓・荒馬踊りは迫力がありとても力強く感じました。(もちろん、我が町内の権現舞も。。。)また、小学生の子供達も参加しており、地域の伝統がしっかと受け継がれているなと実感。東青地域の特産物を集めた特製「あづべカレー」は、とても美味しかったです。「あづべ」とは今別町の方言で「集める」という意味だそうです。
※写真は権現舞:山口有志会です。
令和元年10月23日
米山梅吉ものがたりの著者である、作家「柴崎由紀」さんが山口町内へお見えになりました。米山梅吉が愛した旧西平内村をご自身の目で見て、改めて土地の歴史,気候風土等を体感し、参加者皆が米山梅吉の偉業を、再確認した1日となりました。
令和元年11月2日
三井報恩会旧西平内村特定振興村指定85周年
「記念樹剪定交流会」が行われました。
今日まで、山口町内会が一致団結し、記念碑周囲の環境整備をしてまいりましたが、いよいよその成果を披露する時がやってきました。
天候にも恵まれ、式典には平内町長,平内町教育長,青森北東ロータリークラブや関係者の方々が参列し、記念碑横に植樹した記念樹の「枝うち」を行いました。
式典終了後は、今まで記念碑の環境整備や農地保全活動に協力していただいた町内会の皆様の慰労を兼ね交流会および意見交換会が盛大に行われました。
海峡の家ほろづきでの交流会で参加者みんなとグーッと距離が縮まりました。
朝一番の階段国道は、もろに足腰に堪えました。
龍飛館には、当町出身の故高橋竹山が宿泊した宿帳に感動。
マツカワガレイとウスメバル養殖施設見学に続きレストハウス龍飛では
その材料を使用した昼食に大満足。
次回は個人的に訪れたいと思っています。
荒馬の里資料館の廃校活用は、平内町の今後の参考となるか?
このツアーに参加し得たものは多大なり!
8月27日(火)東青地域の自然、歴史・文化、食の魅力発掘ツアーに参加。
平内町は歴史について紹介しました。特に藩境塚は津軽藩南部藩の境界になる場所で、また、東津軽郡と上北郡の境界にあたるため、参加者に是非知ってほしかった場所の一つです。参加者の中には初めて知った方も多く紹介した甲斐があったと思います。
続いての大和山についても、皆さん初めて訪れた場所で感動していました。
もちろん当町内会の西平内村振興記念碑を見学し、ホタテ活御膳を堪能していただきました。
その後も蓬田、外ヶ浜、今別と様々な場所を見学しました。明日も続きがあり楽しみがまだまだ続きます。
更新をお楽しみに!
8月15日、令和最初の高森山お山参詣が行われました。町内外から約30名程の参加者が集まり、五穀豊穣と家内安全を祈願しました。その様子を僅かですがご紹介致します。
まず、最初に、お山参詣の無事を祈って、山崎神社にて安全祈願をしてから出発です。
高森山の麓に到着し、御神酒をあげ、町内の皆さんの御幣を祈願して登山開始です。
山頂まで約500メートル、焦らずにゆっくりと登ります。
……………………息切れがしてきした。少し休憩です。
因みに、上の写真中央あたりに見えるロープを使って登ります。。。
…ゆっくりと登ります。
中間地点に到着です。休憩せずにゆっくりと登ります。
山頂までもう少しです。ゆっくりと登ります。
約40分かけて山頂に到着です。
三井報恩会と旧西平内村の歴史についてご紹介します。
こちらは、地域遺産継承事業についての活動内容です。
~米山梅吉翁と西平内村振興記念碑~
西平内村を愛した三井報恩会理事長 米山梅吉翁 が揮毫したその石碑は青森県平内町山口の国道4号沿いにあるコミュニティーセンター前に建立されている。
昭和30年に小湊町、東平内村、西平内村が合併して平内町が誕生したが、昭和6年から東北地方は大凶作となり西平内村は困窮していた。更に政争が激しく貧困、貧弱村だった。
県は三井報恩会に支援を懇願。昭和10年1月に振興村に指定を受けその支援は物心両面で続けられた。村の年間予算が2万5千円であったのに助成が毎年1万円は恵まれすぎるほど多額だった。
支援内容は村民の安定に必要なソフト、ハード事業を多岐にわたり施され各事業は大きな成果を上げた。そして、日本一の悪村と呼ばれた村は、良村と生まれ変わったのである。村民一同はその功績を称え、感謝を込めて昭和15年に記念石碑を建立した。
私たち「三井報恩会と旧西平内村の歴史を語り継ぐ会」はこの石碑を地域の遺産と心得、管理とその歴史事実を後世に伝える活動をしています。